
二十四節気:小暑・大暑(たいしょ)
「笹の葉さーらさらー のきばにゆれるー♪」
「七夕」 は中国の行事が奈良時代に伝わった、という説が有力?もとは「織女星」に織物や針仕事の上達を祈る風習。
これに、日本の豊作を祈る行事で使われた「棚機(たなばた)」が合わさったようです。

「棚機」は、「棚機女(たなばたつめ)」という女性が、神様のために着物を織り、米の豊作を祈る行事で使われた織り機。
さらに、「織女星・牽牛星(織姫・彦星)」が、天の川をはさみ年に一度7月7日だけ会うことを許された、という説話も広がったとのこと。
願い事を書く「5色の短冊」は、中国の5行思想に当てはめた「青・紅・黄・白・黒」。とは言え、短冊は日本だけの風習とのこと。中国では、5色の糸をつるすそうです。

二十四節気:芒種(ぼうしゅ)・夏至(げし)
「梅雨・ばいう」の語源は中国。もともとは黴(カビ)の多い季節から「黴雨」だったのが、黴は美しくないので同音の「梅」に変化した、説。または、この季節に梅の実が熟すから、など諸説。「つゆ」と読むのは「露」から?
6月の花というと紫陽花。「あじさい」は「集真藍・あづさい(藍色が集まった)」が変化?
紫陽花は日本が原産だそうですが、写真のような紫陽花は洋種。「ガクアジサイ」が日本原種で、色も名前どおり「藍色」とのこと。
アジサイは、土の酸性度によって色が変わるそうです。アジサイの花言葉のひとつは「移り気」・・

二十四節気:立夏(りっか)・小満(しょうまん)
旧暦で午(うま)の月にあたる5月の、「端(はし=始め)の午の日」に祝っていた節句が、数字が重なる「5」日の節句となったようです。
もともとは中国の厄払いに由来。奈良・平安時代には薬草の菖蒲で厄を祓う行事が、鎌倉時代の武家社会で「菖蒲=尚武(武を尚ぶ・とうとぶ)」として盛んに。
江戸時代には、男児が生まれた武家で「幟(のぼり)」を立てて祝うようになります。それが庶民にも広がり、次第に「鯉幟(こいのぼり)」・兜、武者人形を飾って、男児の成長と出世を願う行事になったそうです。
1948年、こどもの日に制定。
5月5日には菖蒲湯に入り柏餅を食べる・・えっ?粽(ちまき)
関東は「柏餅」 関西は「粽」とも。粽は節句とともに中国から由来。柏餅は日本独自のもの(「柏=子孫繁栄の象徴」)だそうです。
私は「柏餅・みそ餡派」です。

二十四節気:清明(せいめい)・穀雨(こくう)
今では花見酒・花見弁当・夜桜見物が、いわゆる「お花見」となっていますが、そもそも桜のお花見とは、「稲作・田の神様をお迎えする」行事が始まりだったようです。 
京都のやすらい祭で歌われる「やすらえ、花よ」は「桜よまだ散らないで。ゆっくり咲いていて」の意。
寒い冬から春となり、暖かさとともに疫病の流行を知る人々が、その訪れを遅らせようと歌ったとも。 「桜が長く咲いていると、米の実りがよい」と信じられたからとも。
「桜 さくら」の「さ」は、「早苗のさ」に由来するともいわれ穀物の神様を表し、「くら」は、神様のおられる場所「神座(かむくら・かみくら)」に由来すると言われています。
農耕民族の日本人にとって桜は、稲作と深いつながりがあったようです。

二十四節気:啓蟄(けいちつ)・春分(しゅんぶん)
3月3日 雛まつりは、女の子の健やかな成長を祈る節句のお祭り。
記録では、平安の頃、紙等で作った簡単な人形(ひとがた)をなでて厄・穢れを移し、その人形を水に流して、子どもの無病息災を願う行事があったこと。
それに、貴族の女の子の人形あそび、雛(ひいな)遊びが結びついて、江戸時代の頃から「雛まつり」と変化していったそうです。
「雛(ひいな・ひな)」とは、「ちいさくてかわいらしいもの」の意。雛鳥がそうですね。
我が家のお雛さまは、私の子ども時代からのガラスケースに入った小さな雛人形セット。
みんな顔がふくよか。ちなみに、関東と関西では、お内裏さまとお雛さまの位置が反対だそう。
さらにちなみに、そもそも「内裏」とは男雛と女雛の一対を言うそうです。いつの頃からか男雛をお内裏さまと呼ぶようになったようです。

二十四節気: 立春(りっしゅん)・雨水(うすい)
2月3日 「鬼はー外!福はー内!」の掛け声で炒った大豆をまいて邪気を払い、歳の数と1つ多く豆を食べて無病息災を祈る行事。
「節分」は、二十四節気の季節を分ける日「立春・立夏・立秋・立冬」の前日を指していたのが、「立春 2月4日ごろの前日」だけを指すようになったようです。

関東では「恵方巻」(太巻)を食べる習慣はありませんでしたねぇ。
私は、関西出身の夫から聞いて初めて知りましたが、もともと大阪の「丸かぶり寿司」が始まりとも?
今年2008年の恵方は「南南東」。
自家製巨大太巻を丸かぶり。